第11回cozy ripple名言・流行語大賞発表

 
 今年もcozy rippleにさまざまな名言・流行語が生まれました。
 毎年のことながら、1年でこのときにしかcozy rippleと言わない。歴史を重ねた賞ってわりとこういうことが起りがちと思う。レコード大賞はレコードじゃないし、アカデミー賞はアカデミックじゃない。でももうその名前で確立してしまっているので、いまさら変更することができない。cozy ripple名言・流行語大賞も、それらとまったく同じだ。賞の権威という意味でも比肩している。ただしそのふたつの賞と、決定的に違う点がひとつだけある。それは、お金でこの賞は買えない、ということ。たとえcozy rippleという名前が形骸化しても、その誇りだけは失わずに、これからも賞を続けていきたい。
 というわけで、令和元年、11年目の栄えあるエントリーワードは以下の通りです。


友達は、本当は生きてないくらいでちょうどいいんだ

 毎年恒例の友達10大重大ニュースにおいて、2017年にさんざんホラ話を繰り広げた後、「来年は実際に友達ができるから、内容としては地味になる」と宣言し、それを引用した上ではじまった2018年は、友達が太陽系の惑星を縦横無尽に動き回る、SFスペクタクルだった。フィクションもフィクション、大フィクションだ。でもこれでよかった。実際の友達はできなかったけど、そのおかげで死んだ友達もいなかった。生きている友達は、やがて死ぬ。僕は友達思いだからそれがつらい。だからこんなやさしい結論にたどり着いた。
 

プィーボコクスィヅィアスマッスル

 今年は総括してみると、男らしくなった1年だったと言えるんじゃないだろうか。筋トレを始めたし、ちんこの話をやたらした。そういう意味では、精神面でやってきた、三次性徴と言ってもいいかもしれない。そのちんこ探究の中で、勃起の力を強めるために鍛えるといいとされるPC筋というものの存在を知る。PC筋、PC筋と誰もが言っていて、なんだよPCって、パソコンかよ、と思って検索したら、「pubococcygeus muscle」だった。長いよ、どう発音すんだよ、と思って動画サイトで外人が喋っているのを聴いたら、このように言っていた。そして結果的にそこは鍛えられたのか、勃起力は高まったのか、という点についてはノーコメントだ。
 

ラウワンに行けなさ

 不意にまったくの平日に、繁忙期に働かせた分の代わりとして会社が休みになって、ジタバタした。平日なので普通の会社勤めの人は働いている。僕自身は、会社勤めだろうとなかろうと友達がいないのでそんなことは関係ないが、休日は社外の友達と遊んだりする同僚たちは、遊び相手がいなくて時間を持て余しているはずだ。じゃあこれこそROUND1に行く千載一遇のチャンスなんじゃないか。空いてるし、安いし、ここしかないんじゃないか、と色めき立った。しかし色めき立っただけで、誘うことも、もちろん誘われることもなく、ひとりで老人まみれの市民プールに行った。これほどの条件を整えられても僕はラウワンに行けないのだ、ということが強調されるだけの結果となった。
 

friendshipenis

 小林よしのり著「おぼっちゃまくん」の主人公、御坊茶魔が繰り出す、茶魔語と言われるギャグのひとつに、「ともだちんこ」というものがある。これは出会った友達に対して、握手をするかと思いきや、相手の手を自分の股間に持っていくという、ただそれだけのものなのだけど、「友達」と「ちんこ」って俺の2大テーマじゃんかよ、とあるとき思い出して衝撃を受けたのだった。それでネットで「ともだちんこ」について検索していたら、「おぼっちゃまくん」の英語版ではそれがこのように表現されるのだそうで、とても感動した。Tシャツに、「ともだちんこ」は無理だけど、これならいけるんじゃないだろうか。


第一部・完

 春先から始めた筋トレによって、メンタルのみならずフィジカル面でも自己愛を抱けるようになった僕には、とうとう友達の必要性が一切なくなり、友達についての思いの丈を綴るための「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」は、その役割をすっかり失ってしまった。その結果、閉鎖はしていないものの、本当に5月のこの記事からこれまでいちども投稿はなされていない。復活の日は訪れるのだろうか。ちなみに記事の最後で、ブログタイトルの「僕等」とは誰のことだったかが明かされた。それは僕と、僕と、僕。ひとつひとつの記事を書いていた僕等が、瞳を輝かせ、沢山の話をしていたのでした、ということで第一部が閉じられた。ブログって一部とか二部とかあるんだね。
 

ちんこおもしろい主義

 どれほど凝った創作物も一本のちんこのおもしろさに敵わない、ということをしみじみと思う。記事内では、ひたすらちんこイェイイェイと言っているわけではなく、どれほど悲壮な状況でも男の脚の間にはちんこがぶら下がっていて、そのことを思い出したら乗り切れる場面が世の中にはたくさんあるのだ、という、ちゃんといいことも言っている。生命の基本は女であり、男はただちんこがおもしろいだけの存在であり、それで十分。この世はちんこおもしろい主義で回っている。そのことを証明するように、9月の「キングオブコント」ではどぶろっくが優勝した。結局ちんこ。
 

おどけきれないピエロ

 手先でクルクル回すところから、いっかな動きが広がっていかないバトントワリング。その状況をなんとか打開しようと、回しながらステップを踏んだりするのだが、その様を見たファルマンがこう言い放ち、とてもショックを受けた。ただバトンを回している際のぎこちない足運びを揶揄されただけならばいいのだが、詩人である妻によるその言葉は、僕の心性そのものを的確に指摘しているように感じられ、「ああ、たしかにそうだな……、俺はたしかにそうだな……」としばらく落ち込んだ。今も傷は癒えない。


わからんちんぽこどもとっちめちんぽこ

 ブログクロス連載小説「俺と涼花」において、涼花の打擲によってペニスケース内でペニスを勃起させてしまった俺が、妹に射精の世話を懇願している際に繰り出されたフレーズ。ちなみにこの兄妹間では、兄による策略の結果、男性器のことは「おちんちん」ではなく「ちんぽこ」が世間にも受け入れられるオーソドックスな呼び方だと信じられている。元のフレーズはもちろん、アニメ「一休さん」のオープニングソングで、この記事を書いたあと家族で行ったカラオケでも、子どもに感付かれないよう濁しながらこの替え歌で唄ったりもした。「とんちんかんちん、ちんぽこさん」と続く。


#短歌

 今年とうとうTwitterを始めた。去年タブレットとLINE、そして今年Twitterと、「パピロウ、世間のブームが落ち着いたら結局なんだかんだで受け入れる説」が連続で実証されている。もしかすると3年後くらいに僕はYoutuberになっているかもしれない。Twitterでは短詩だけをやっていて、ごくまれに俳句もあるが、今までのところほとんど短歌ばかりである。いちおう1日最低1ツイートを心がけているので(1日だけすっかり忘れて穴が開いてしまったが)、日常でしきりに短歌を考えるようになった。それがいいことかどうかは判らないけど。ちなみにいいねやリツイートはぽつぽつあるものの、人間関係は広がっていない。これはLINEのときもそうだったから、もはや驚かないけど。


ファン活

 なにかのファンになるということがこれまでの半生でいちどもなく、それはなる必要がないからならなかったわけで、ぜんぜん困らないのだけど、僕もほら、三十代も半ばになってきて、若さという強力な武器であり防具でもあるそれが、だんだん摩耗してくることで、あるとき急に落ち込んでしまうこともあるかもしれない。そんなとき、自分の外部に、もたれ掛かれるものが欲しい。それがなにかのファンになるということだろう。そんな心理からファンになるための活動を開始した僕は、しかしなんのファンになればいいのかさっぱり分からず、神頼みし、結果として沖縄出身のダンスミュージックグループ、MAXのファンになった。それからはCDを買ったり、カラオケで唄ったり、オリジナルのMAXマークを考えたり、愉しく暮している。
 

ウィンウィン

 「SEVENTEEN」で男子高校生の生態報告特集がなされていて、読んでいろいろ思うところがあった。ST誌上に現れて異性交遊について語る男子高校生を見ていると、自分は彼らの倍以上の年齢であることや、20年前の高校生当時においても僕のそれは男子校であったことなどが次々に刺激され、悶々とした感情に襲われる。特に経験人数200人弱であるという男子高校生が言い放った、「中学生のときAVを観ていて、女にも性欲があるならふたりで満たし合えばいいじゃんって気づいた」という発言に、僕の人生のトーンは数段暗くなった気がした。この男子高校生の口から出たこの言葉に、前々から感じていた「win-winの関係」の欺瞞を喝破した。勝者しかいない世界などない。性欲をふたりで満たし合った勝者高校生の周りには、敗者高校生の死体が累々と積み重なっているのだ。


JKちゃん

 毎年恒例、「SEVENTEEN」9月号の女子高生データ特集の報告記事で、身長やら体重やらスリーサイズやら、数千人規模で集計を取った(とされる)、毎年微妙に変動するそれらの平均値とは、すなわち「2017」「2018」「2019」という名前のついた、それぞれ一個のイデア的な存在の少女のパーソナルデータであると捉え、その姿を想像しようという考え方。なんとなく呼び方におじさん臭さが漂う。ちなみにここ数年の傾向として胸小尻大、バストサイズは小さくなり、ヒップサイズは大きくなってきており、由々しき事態だ。この国はそろそろ終わるのかもしれない。


フレンドシップイズアカインドオブリビドー

 「G線上のあなたと私」というドラマを観ていて、友達という関係には年齢も性別も関係ないのだ、ということに気付かされた。これまで想定していた友達は、居酒屋で猥談ができる同性の同年代だったのだけど、思えばずいぶん狭めていたことだ。友情はもっと自由で広大な概念だ。愛しいと思う、情を抱ける相手であれば、それはもう友達の対象だ。だから性欲の対象と友達の対象は、ぜんぜん重なり合う。そもそもそこを分ける必要なんてなかったのだ。それでこのような言い回しになるわけだが、しかしこれは要するにfriendshipenisであるとも言える。この考えを基盤に、「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」の第二部が始まる気配もある。


 以上です。
 いやあ、今年もさまざまな名言・流行語がcozy rippleを彩りましたね。
 惜しくも最終候補から漏れたものでは、「自分は裏切らない」「エートゥー離脱問題」「参っぜ!」「ペニスチャンピオンズリーグ」「肝臓弱ってるおじさん」「安馬夢」「バナナ熱」「本当にやるの?」「誕生日は、僕のもの」「モーレツでもなければ・デジタルネイティブでもない」「僕の中のとても脆くて美しくて大切な何か」などがありました。今年もなんだかんだで愉しいブログライフの1年でした。
 傾向としては、隆盛を誇った友達関連語は、そのホームグラウンドである「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」の休眠が示すようにその勢いを弱め、その代わりに台頭したのが、春から筋トレを開始したことにも関連するだろう、自分自身の肉体(主にちんこ)をテーマにした言葉たちだ。数年前まではエロも、ひたすら女性美について語っていたが、近ごろはエロの視点が、女性美ではなく、女性美によって興奮する自分になってきた。年を取って逆に自己愛が増したのか。だとしたらいい人生だな、と思う。
 というわけで、それではお待たせしました。いよいよ今年のcozy ripple名言・流行語大賞を発表したいと思います。去年の元滝川第二高校サッカー部主将、中西隆裕さんに続き、今年のプレゼンターはこの方、雨上がり決死隊、宮迫博之さんです。
「えー、ただいまご紹介にあずかりました、みやさこーです。いやー、いろいろあった1年でしたね。純烈の友井脱退、新井浩文逮捕、ピエール瀧逮捕、AAA浦田逮捕、田口淳之介逮捕、木下優樹菜活動自粛、徳井活動自粛、沢尻エリカ逮捕……、ホンマにいろいろありました。来年はいい年になってくれたらいいという願いを込めて、今年のアメトーー……、間違えました、cozy ripple名言・流行語大賞を発表します。えー、2019年、第11回大賞は……、あ、その前にちょっと確認しておきたいんですけど、お前らテープ回してないやろな? はい。どうしてもこれだけ言いたかったんで。それじゃあ発表します。大賞は……、わからんちんぽこどもとっちめちんぽこです。ホンマすんませんでした」
 なんと! なんと3年連続受賞中の「乳房が胸一杯」を抑え、今年の大賞に輝いたのはわからんちんぽこどもとっちめちんぽこという結果となりました! なんという番狂わせ! 日大学閥の出来レースかと思われていたcozy ripple名言・流行語大賞ですが、その疑惑を晴らすという政治的な思惑もあるのでしょうか、候補語の中からちゃんと大賞が選ばれるという、誰も予想していなかった結末となりました。まだ会場がざわついております! 違います! これは詐欺グループのお誕生日会ではありません! 違います! 桜を見る会でもありません! ざわついております! ざわついております!
 そんなわけで混乱と狂騒を巻き起こしつつ、今年もつつがなく終了した第11回cozy ripple名言・流行語大賞でした。それではまた来年、お目にかかりましょう。いまから僕だけ愉しみですね。ちなみに早くもpuropediaに今回の結果が更新されております。素早い! 運営優秀!