実録ドキュメンタリー連載「ファン活」第1回

 
 自分しか好きじゃない。
 これまでそのことになんの疑問も持たずに生きてきたのだけど、周りの人たちを眺めてみたら、みんな自分の外側にあるなんかしらのことを偏愛して生きているようだ。30代半ばにして、そのことを発見する。
 自分以外のことに労を払うということが、社会で生きている以上どうしても避けられない場面がある。損だ、と忌々しく思う。そういうとき、「そうして他人のためにしたことが巡り巡って自分に帰ってくるんだよ」というのが、苛立ちをなだめるレトリックとして一般的である。つまり、なだめるレトリックが常套表現になるほど、他人のために動くことは誰にとっても不愉快なことであるということだ。
 そのことと、外部への偏愛は、矛盾していると思う。なにかのファンになり、そのなにかへ熱情を注ぎ込む。これはまるまる損だ。その熱情を自分に向けていたら、そのまま自分の利益になったものを、なぜむざむざと外部へと垂れ流すのか。それはみんなが大嫌いなタダ働きだろう。奉仕しても見返りは一切ない。奴隷ではないか。
 これがどれほどおかしなことかは、ヒト以外の動物は絶対にそんなことをしないことからも明白だ。動物はただ自分のためだけに動く。もちろん種の保存という概念もない。種なんかどうでもいい。自分だけ生き残ればいいのである。ただし子どもに関しては捨て身になるが、それは子どもが自分の遺伝子を受け継いでいるからで、結局は自分なのである。だから、ファンになったなんかしらの存在が、自分の血縁であるならば、理解できる。それはいちおう、自分を犠牲にしてまで守るものとして、理屈になる。しかしそんなパターンは極めて少ない。そもそもファンになる対象が人間とは限らない。作品のファン、チームのファン、行為のファンなど、血縁関係を結びようがないものへも、時に人々は心血を注ぎ込む。不可解の極みである。
 だがそうしてなんかしらのファンとして生きる人々を見ていると、彼らはファン活動をしているとき、とても生き生きとしているのである。どうも彼らは、血縁関係という直接的な結びつきはなくても、対象としているものへエネルギーを捧げることで、自分自身にそのエネルギーを照射させているらしい。ともすればそれはアイデンティティということに繋がるのかもしれない。対象のファンとしての自分を実感することで、自分という存在を色濃く立脚させる、という仕組みになっているのかもしれない。それなら解る気がする。結局は自分のためであり、巡り巡って自分に帰ってくる、を実践しているだけということになる。よかった。理屈が合った。彼らは別に天使的な存在ではないのだ。
 それでも解らないのが、自分のエネルギーを自分に与えるために、その間に外部のものを挟む意味だ。なぜそんな面倒なことをするのか。自分の中だけで回したほうが、絶対に無駄が少ない。出して、返ってくる間に、空気中とかに放散される部分があるはずだ。効率が悪いじゃないか。いや待てよ、ファンが多く集う場においては、空気中に放散されたエネルギーもまた多いため、返ってくるときに放散した以上のおまけを上乗せしてきて、結果的にプラスになるのだろうか。しかし放出した全員がプラスになるはずがない。エネルギー量は一定なのだから。だとしたらそういう場には、他人が放散した熱量まで奪い取る奴と、奪い取られるだけの奴がいるということか。それはなんとなくイメージが湧く。ファンに限らずだが、集団というのはどうしたってヒエラルキーが生まれて、高位にいる者が得する仕組みになっているからだ。
 そういうことを考えると、やっぱりファンになんかなるもんじゃない、と思う。たったひとりの自分が、たったひとりの自分のことだけ好きでいれば、なんの問題もない。
 でもある瞬間に、その自分がくじけてしまったら? 供給する自分と享受する自分を繋ぐパイプが滞ってしまったら、そのときはどちらの自分も一気に総崩れだ。「自分しか好きじゃない」は、そこが怖い。照射する対象を外部に求めるのは、それの保険効果もあるのではないかと思う。自分自身で気丈になれなくても、あれがあるからがんばろう、と思うことができるように。だとしたらやっぱりファンになる対象のひとつくらいは、持っていたほうがいい。
 とは言えこれまでそれをまるで持ってこなかったため、ファン精神の素養というものがまるでない。そもそもファンというのは、なんかのファンになる必要があるな、と思ってなるものでもないだろう。気づけばファンだった、これが正しい。でもこれまでの35年が証明するように、ただ漫然と暮していても僕はなんのファンにもなれない。ファンにおいて僕はとても草食系なのだ。このままではファン少子化で、デフレスパイラルで、年金制度も崩壊だ。そこでかつて町内にひとりはいたという世話焼きババアよろしく、自由恋愛方式ではなくお見合い方式で、僕がこれからファンになるものを、大いなる力で勝手に決めてしまおうと思う。はじめはぜんぜん好きじゃなかったけど、幻想も抱かず、まあこんなもんだろうと思って暮しているうちに、だんだん好もしく思えてくる、そんな関係性を築きたい。
 そんなわけで僕は今日から、MAXのファンになろうと思う。