第10回cozy ripple名言・流行語大賞発表


 今年もcozy rippleにさまざまな名言・流行語が生まれました。
 cozy rippleという言葉を、もう毎年このときくらいにしか思い出さない。cozy rippleそのものは、もう存在しない。それでもかつての大本営ホームページcozy rippleは、死んでいない。今も生き続けている。それはまるで、肉体が朽ちたあとも30億年生き続けた山野辺のように、われわれのことを見守っているのである。
 そんな山野辺でも、今年という1年は変化に富んでいて久々に愉しめたのではないかと思う。宇宙と一緒で、ブログは収束と拡散を繰り返す。今年は久々にその拡散が起った。USPほぼ一色だった世界に、多彩なブログ群が誕生したのである。「おこめとおふろ」「andp」「BYAPEN」「BUNS SEIN!」「PAPIROTOIRO2」「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」「RACCASE」「hophophop」「nw」「THE WIND TALKING ABOUT SOMETHING 」、そしてそれらの投稿を淡々と知らせてくれる「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」。我ながらとてもいい仕組みを作ったものだと思っている。今回の拡散は大成功だった。
 名言・流行語大賞のエントリーワードも、全てのブログからというわけではないけれど、去年までよりははるかに多い種類のブログから拠出できた。これがとても嬉しい。やっぱりいろいろなブログが呼応し、共鳴し、切磋琢磨して、ブログ曼荼羅というものは形作られていくのだと思うので、これで健全な形になったと思う。
 エントリーワードは以下の通りです。

少し長めの棒

 初出は「USP」2017年12月19日。タブレットを持つ前、LINEを始める前、さながら処女がセックスに対して、憧れが強すぎるあまりその裏返しとして殊更に強い拒否感を示すように、LINE文化のことを忌避していた。LINEを始めればみるみる友達ができると思ったら大間違いであり、LINEは点と点をつなぐ無限の線ではなく、ただの少し長めの棒であり、だからある程度の距離にいる相手とのコミュニケーションには役立つけれど、棒よりも遠くにいたらやっぱり届かず、目いっぱいに振り回しても空を斬るばかりで、余計に哀しくなるに違いない、ということを言っていた。予言者じゃねえか。


なんかしらの人付き合いを強める成分

 初出は「おこめとおふろ」1月22日。三女が実家に帰る引っ越しの直前、それまで2年ほど働いた職場で送別会が開かれたそうで、その時点でそろそろ勤めて満5年になる自分の職場においては、たとえ僕が辞めることになっても絶対に送別会は開かれないだろうと考えると、三女や、そして横浜の義兄のような輩の体からは、特殊なフェロモンが分泌されているのではないかと思った。冷静に考えたらフェロモンではない。単純に「人当たりの良さ」だ。ずっと足りなくて汲々としている「コミュニケーション能力」の、それを極めた者にのみ与えられるさらに高次の能力、「場を沸かす人柄」だ。


プライベートゾーン 

 初出は「BUNS SEIN!」1月29日。ポルガの授業参観において、衛生についての学習で、体の中で汚れが溜まりやすい場所というテーマでの話の際、先生が黒板に貼ったキャラクターの股間部分を指して唱えた言葉。授業を見学していた父母のひとりに、性的な言い回しに関して並々ならぬ熱情を持つ父親がひとりいて、これは彼の心をしばらく千々に乱した。ウェブで検索して出てきた、プライベートゾーン=水着で隠す部分、という定義にも納得いかない気持ちがあり、最終的にプライベートゾーンは宇宙レベルのパブリックゾーンであり、すなわちコスモゾーンであるという結論へと至った。


ROUND1

 初出は「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」1月31日。今年は本当によくこの言葉を口にした。流行語大賞が言葉の使用数のカウントで決まるのならば、大賞は間違いなくこれである。はじめは単なるバブルサッカー欲求から、それができる場所として名前が挙がっただけだったが、ビールが1杯100円だったり、カラオケがあったり、なんかもうそこは友達世界のユートピア、友トピアなのではないかと、憧憬がひたすらに募った。8月17日には、本当にかの地へよく足を運ぶ人間は、ROUND1などと表記せず、ラウワンと呼ぶのだということを知り、いちども行ったことがないのに今後は自分もそう呼ぼうと決意した。そしてもちろん実際にはいちども足を踏み入れなかった1年間だった。行かなかった場所についてこんなに語った人物なんて、丹波哲郎以来じゃないだろうか。


無風

 初出は「BUNS SEIN!」2月6日。あだち充の漫画によく出てくる、女の子のパンチラなどを目撃した男が発するセリフ、「ムフ」とは、漢字で表記するならばこうなるのではないかと考えた。すなわち、あの世界の男たちはそこまで積極的に生身の女の子に働きかけをしない。しないから関心がないのかと言えばそんなはずはなく、性欲は横溢している。しかし彼らにとって、パンチラなどの眼福というのは、自らが風を起して掴み取るものではなくて、大いなる自然の力によって発生するべき高尚なものなのである。だから与えられるものは素直に喜ぶ。そこに「女子高生に欲情するのは犯罪ではないか」などという逡巡はない。若くてかわいい女性は、大いなる自然の象徴だからだ。

ウェ

 初出は「USP」3月16日。次々に参上する新世代のブログたちを読者に紹介していく、という最後の役割を務める中で、USPが生み出した、ブログの数え方。Web logの、ブログに使われず不貞腐れていたウェを、それならばブログの単位におなりなさいと、そっと手を差し伸べた形。それまでの7年あまり、実質上のひとり横綱としてブログを守ってきたUSPが、最後にウェブログへの愛を爆発させた結果なのだと思う。そしてUSPの魂は11ウェのブログへと引き継がれた。いつかあのブログを思い出してきっと泣いてしまう。


悪質なタックル
  
 初出は「hophophop」5月23日。初出と言ったって、世間でも当時さんざん騒がれていた話題である。世間の流行語大賞のほうにも、「悪質タックル」としてノミネートされている。こちらでは間に「な」が入る。それでニュアンスが特に変わるわけではないが、ブログではずっと「な」を入れて表記していたので、いまさら省くわけにもいかなかった。なにを隠そう出身大学なので(帰属意識は限りなく低いが)、この話題はとても愉しく、今年の上半期を彩った。監督が相手の大学に謝罪をした際、ピンク色のネクタイを巻き、相手の大学の名前を間違えるという傑作のボケをかましたのを受け、僕もすぐにピンク色のネクタイを買った。ラウワンでバブルサッカーをして悪質なタックルをしてピンクネクタイで謝罪して相手の名前を間違えるところまでがワンセットの、僕の白昼夢。


僕の中の杉村

 初出は「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」6月15日。「耳をすませば」のキャラクター、杉村の名台詞に「わっかんねーよ!」というのがあり(実際に映像で確認したところ思ったよりも気弱な感じで「わかんないよ」と言っていたのだが)、そのため日々の中で、納得できないことや理解が追い付かないことに対峙したときに、「僕の中の杉村が混乱している」などという風に表現することで、「わからない」という意味を表している。この発案をきっかけにこの時期にわかに杉村ブームが起り、LINEのプロフィール画像も杉村にして、折よく発売された「耳をすませば」のLINEスタンプも購入する運びとなった。いま思えばこの杉村ブームこそがいちばん杉村であると思う。


ファッション友達が欲しい

 初出は「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」7月2日。衣服について語り合う友達ではない。おしゃれ仲間が欲しいわけではない。「ファッション」はフリやアピール、見せかけだけ、という意味で使っていて、僕の唱える「友達が欲しい」は、たまにそういう目的のときがあるのは事実だが、今日のこの気持ちは違うのだ、実体を伴うマジのやつなのだ、ということを言いたいときに、否定的なニュアンスで用いる。「友達なんかいらねえよ」がファッションで、本当はさみしがりや、というのはよくあるパターンだが、これはその逆。ファッションでそんなことを言ってなんの得があるというのか。


男女共学の高校に通った人は、もう二度と人間に生まれ変わることはないのよ

 初出は「hophophop」7月16日。返す返すも、高校を男女共学校に行かなかったことについて、どうしてそんな選択をしてしまったのか、身悶えるほどに残念な思いがあり、でももう16~18歳のきらめきというのは、今生においてもう絶対に手に入らないので、その点に関しては既に来世へと思いは飛んでいる。そして、いちど男子校という地獄(その境遇自体がつらかったわけではなく、「高校が共学じゃなかった」という事実が、あとからじわじわと精神を蝕む)を味わった者が、来世でやっと共学に行けるのなら、今世で既に共学に行った人は、もう来世は遠慮してほしい。遠慮して、人として生まれないでほしい。そういうあの世の制度があればいいと思い、火の鳥に言ってもらった。


進は進だが、退も進である

 初出は「hophophop」7月24日。バトントワリングの演舞について、今年はいろいろと迷走した。最初にヒップホップダンスはどうかと思い、本や映像で少し探ってみたところ、これは無理だと早々に退散し、その次に太極拳へと触手を伸ばした。そうしたら太極拳の亜種として、扇子を使う太極扇、剣を使う太極剣というジャンルを発見し、特に後者は、もうほとんど僕がやろうとしていることではないかと思い、教本を取り寄せてじっくり取り組むことにした。しかしその内容はと言えば、あまりにも観念的で理解が困難で、結局ものにならなかった。しかしその紆余曲折、ままならなさも、その教本の中に出ていたこの言葉が救ってくれる。退も進。すごくやわらかく言うと、「いいんだよ」ということである。パピロウがなにやったってみんなパピロウのことが大好きなんだよ、みたいな意味に、僕は取った。どこまでも優しい全肯定の言葉。


友人

 初出は「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」8月3日。実は僕は友達が欲しいのではなく、友達が多い人間を憎んでいるだけなのではないかと思い至り、それならばその友達が多い人間、これから死ぬまで戦い続けるであろうその相手に名前を付けてやろうと考え、これを思いつく。これまで「友達」という巨大なワードの陰に隠れて、ひっそりと独自の活動をしていたようだが、僕がとうとう見出した。この人です。悪いのはこの人なんです。僕は悪くない。友達も悪くない。我々はいがみ合う必要なんてなかったんだ。すべては友人の仕組んだ罠だったんだ。僕は許さない。友人をいつか駆逐してやりたい。


友だち0人・9月20日

 初出は「僕等は瞳を輝かせ沢山の話をした」9月20日。LINEを始めて初めての誕生日ということで、さぞやおめでとうメッセージが殺到することだろうと思いきや、ろくに音沙汰もなく、タイムラインにも告知が表示されない設定になっていて、慌てて直したが手遅れで、期待が高まっていた分、哀しみの大きな35歳の記念日になった。その際、誕生日の特設ページみたいなのがあり、ここに友達が訪れてくれたら数がカウントされるのだろうが、ひとりも来なかったため、こんなフレーズが表記されるはめになった。人の誕生日をつかまえてそんなフレーズを生み出しちゃうかよ、と衝撃を受けた。


 いやあ、今年もさまざまな名言・流行語がcozy rippleを彩りましたね。
 惜しくもエントリーから漏れてしまったものでは、「やらハタの焔」「おもしろいしやさしいのに」「その心なんですね」「デスポンデンスゴリラ」「MNKTあれよあれよ」「ちょっとしたレイプ」「へけっ」「傷んだ桃の色」「石ころのよう」「91センチ」などがありました。愉しい1年でした。
 傾向としては、相変わらず友達(がいない)関連語が強く、こうしてみるとバランス的にちょっと問題の生じるレベルにまで至っていると言わざるを得ません。今後はもう少し抑えて、そのぶん別のジャンルのフレーズが多く出せればよいと思います。まあこればっかりは1年後にならないとまったく予想ができないですけれども。
 それではお待たせいたしました。いよいよ今年のcozy ripple名言・流行語大賞を発表したいと思います。去年のサンシャイン池崎さんに続き、今年のプレゼンターはこの方、元滝川第二高校サッカー部主将、中西隆裕さんです。それではよろしくお願いします。
「パピロウ半端ないってもう! あいつ半端ないって! いろんなブログめっちゃ拡散するもん、そんなんできひんやん普通、そんなんできる? 言っといてや、できるんやったら……。乳房が胸一杯や。もうぜんぶ乳房が胸一杯や。撮られたしもう。また乳房やし。またまたまたまた胸一杯やし……」
 3連覇! 今年は日本大学界隈で問題が起りすぎた関係で、ノミネートすら危ぶまれたディフェンディングチャンピオンの「乳房が胸一杯」でしたが、雑音などどこ吹く風、圧倒的な強さでの3連覇となりました。いやあ憎たらしい! 学生から授業料をたくさんせしめて、権力をほしいままにするふてぶてしさ! もはやさすがと言うほかありません!
 そんなわけでブログ拡散の勢いも寄せつけず、「乳房が胸一杯」が今年も大賞をかっさらっていった、第10回cozy ripple名言・流行語大賞でした。それではまた来年、お目にかかりましょう。いまから僕だけ愉しみですね。ちなみに早くもpuropediaに今回の結果が更新されております。素早い! 運営優秀!