実録ドキュメンタリー連載「ファン活」第3回

 
 やっぱりファンになったからには、ファン相手(というのだろうか)にまつわるものを手に入れなければならないだろう。今回の場合、MAXは音楽CDを出す人たち(「歌手」とも違うし、「ミュージシャン」のはずもないし、ましてや「アーティスト」だなんて口が裂けても言えない)なので、音源を手に入れよう、と思った。
 それで近所のゲオに行ったのだけど(買うという発想はまるで浮かばなかった)、なんと邦楽の「ま」の棚に、MAXのCDなんて1枚もなかったのである。「なんと」と言ったが、たまたま僕は数日前にMAXのファンに転生したために、ないことが「なんと」ということになるが、そうでなければ、何の気なしに棚を眺めていて、そこにMAXのCDがあったとしたら、そっちのほうが「なんと」ということになっていたと思う。お前、いま令和だぞ、と。こんなちっちゃいゲオの、3列くらいしかないCDレンタル棚に、MAXって、と。だからなくても文句は言えない。カウンターに怒鳴り込むわけにはいかない。ただしMAXを探し求めた「ま」の棚に、松たか子がやけに並んでいたのは釈然としなかった。MAXも、松たか子も、日本人がやけにCDを買うことに関してガバガバになっていた時期に、その勢いだけで成立していた輩、という括りで共通している印象がある。それなのに松たか子は残り、MAXは駆逐された。なぜなのか。
 ともかくゲオでMAXは手に入らなかった。こんなときは図書館だ、吉川ひなののCDもそうやって手に入れたので、MAXもそのパターンでいこう、と検索をかけたが、なんとヒットしない。なんてこったよ。どうなってるんだ、いまMAXファンになることの過酷さ。前回も言ったけど、こっちはファンビギナーである。それなのに世の中の仕打ちはあまりにも優しくないではないか。ましてや今度の仇は吉川ひなのである。松たか子は百歩譲って仕方ない。エルサだし。しかし吉川ひなのは許せない。吉川ひなの! 吉川ひなのvsMAX! なんだそれ! 2019年に俺はいったい何を言っているんだ!
 そんな苦闘を経て、ネットの中古屋にようやく思いが至る。ここまで「借りる」ことしか考えていなかった。まさか俺、MAXのCDを、買うのか? 中古とは言え、買うのか? CDを? MAXのCDを? 自分でも自分のやっていることがよく分からなくなりながら、とりあえず検索をかける。すると100円とかでアルバムが出てきた。叩き売られていたのだった。でもこれはとても納得がいく。家の整理をして、あの時代にやけに買ったCD(なぜあの時代には1000円のシングルをあんな感じで買う気風があったのだろう)が出てきて、本当にファンの人のもの以外はどうでもよくなっていて、まとめて売ることにする。そんなときMAXは、なんてったって、あの時代のCD狂騒の象徴のような存在(MAXのCDでさえ何十万枚も売れたのである!)なので、売られることになる筆頭だ。誰にとっても「本当にファンの人」じゃないので、誰も手元に残さない。かくして中古屋には、MAXのCDばかりが溢れ返る。だから、下手したらゲオで1週間レンタルするよりもよほど安い価格(欲しかった筋トレの本と併せて買ったので送料無料になった)で、買うことができた。
 かくして買った。まだ届いてないけど。買ったのである。僕は。MAXのCDを。信じられるか。俺はMAXのCDを買ったんだぞ。すごい奴だろ。一目置け。俺だ。MAXのCDを買ったことで有名な俺だ。俺か? 俺はファンだ。MAXファンだ。